母が最期の時を迎え、残された父との時間の過ごし方が変わってくる。父も私もお互いに今までとは違う形でお互いを考えています。
父と優しい会話
少しだけベールがかかったような父の記憶
いつもどんな時も隣にいた母がいなくなった事が受け入れられない父は、何度も同じことを聞いてきます。
「ああ。そうだな。いないんだな。」そう言いながら、見ているほう苦しくなってしまうような表情を見せていました。
数日の間は母がいない事を忘れてしまい、何度も何度も落ち込んで、父の心は大丈夫かなと思ってしまうほどでした。
時間がゆっくと日常に戻してくれる
二人部屋で仲良く暮らしていた施設の部屋も、一人でいるとその広さが益々広く感じ、父にとってはどのくらいの空間に感じるのかはわかりません。
施設での規則正しい、集団での生活は父の心の痛みを少しづつ和らげてくれているようでした。毎日のデイサービスでお隣に座った方と会話をしたり、そんな様子を施設の方から聞くこともあります。
父は、母が眠りにつくその瞬間は、容態が急変し一緒にいることができなかったため「どうして教えてくれなかったのか」と悲しみが怒りの感情となって施設の職員の方に問いかけることもあったようです。
施設の部屋に母の遺影を置いているのですが、写真の裏に母の命日の日付が父の字で書きこんでありました。一日に何度も写真の裏を確かめているのでしょう。
親と会える時は会う事、思うだけではなくやる
今、施設に訪問する日が増えているます。父と普通の話をして父の話を聞くことで自分も優しい気持ちになっている事に気づきました。
「今後はよろしくお願いします。」と何度も何度も言う父に、会うことで話すことで安心してほしと思ってしまいます。
一緒に住んでいる時は、どうしても「危ないからやめて」という言葉を中心に父の行動や言葉に否定することが多かったのですが、離れて暮らしてましてや、一人になってしまった父への言葉は全部「そうだね。」と肯定的な言葉ばかりに変わりました。
まとめ
時間とともに親に対する気持ちは変化すると思います。年とともに記憶にベールがかかる親の発言を優しく受け入れるには、遠回りすることもあります。
否定的な返事ばかりしていた時期もあり、自分自身も嫌な気持ちになっていた事もありました。でも今すべてを受け入れて会話をできるようになったのでとても気持ちが豊かになりました。
「会える時は会いに行く。」これを今日も実行して優しい時間を過ごしてきます。