母を送る日は決まっていたのかもしれません。前日、施設に入っている母に会いに家族で行きました。
私達の呼びかけに、きゅっと手を握り返してくれた母。穏やかに微笑んでいました。
親に会える時には会う
母に最後にあった日に「親と話が出来るうちに話をして親の気持ちを伝えたいことを知っておくべき」と書いています。その翌日に母は旅立ってしまいました。「明後日また来るからね」と言って施設を後にしました。だれと会っていてもその時が大切で明日や明後日はないのです。
最後の日に握り返してくれた母の返事
母は、肺炎や感染症で亡くなる1か月前は入退院を繰り返していましたが、最期は眠るように静かに旅立ったと聞きました。同じ施設で一緒にいる父は、デイサービスに行っておりその時に立ち会えなかったようです。それも母の配慮かもしれません。
前日母に、「ゆっくりしながら待っていてね。明後日来るからね。」手を握り返してくれて、それから手を放し「オッケー」と母が指をオッケーの形にしたような気がしました。母の得意の返事はいつも明るく「オッケー」でしたから。
もう「オッケーだよ」
送り出すことができる幸せ
母を送る葬儀や数々の手続きで忙しく動き回る数日は、悲しみを和らげることができる時間なのかもしれません。施設と自宅が少しと遠い距離にあったので骨葬となりました。
家族葬で温かい雰囲気で父も最愛の妻をきちんと送り出すことができました。しかし父は「順番が違う…」「私の体の半分が無くなってしまった」父の落ち込みは大変でした。
残された家族への配慮、父との過ごし方
父は数時間おきに、母が亡くなったことを確かめて「ありがとうって伝えたかった」「苦労ばかりかけたが幸せだったよね」何十回も聞いてきました。60年以上も一緒に二人だから色々なことを乗り越えてきた、娘の私には分からない深い二人の絆。
父は、同じことを聞いて繰り返てしまう状況で、母が亡くなった事が受け入れられず、何度も哀しみのどん底に落ちてしまっていました。ただ一緒にいて「お母さんはお父さんがいたから幸せだったよ。苦しむことなく眠るように旅立ったよ。」と繰りかえすだけでした。
母の亡くなった日も忘れてしまう父に手帳を渡しました。自分で書いて覚えていてもらうためです。気持ちもそこに記してくれたらと思いました。今一人施設にいる父は、たびたび手帳に何かを記しているようです。
まとめ
母を見送った事。その悲しみはなかなか癒えません。残されたものが前を向いて母の望んでいたことを忘れずに生きていく事が大切と思っています。私の目を通して色々のものを見て感じて母に報告したいと思います。
今後の年老いた父との関わり方をもっと具体的に、積極的に後悔のないように過ごしていきたいと感じます。会える時はその時を大切にし、話をし、話を聞く時間を持ちたいと思います。