介護施設で父とゆったりと過ごしていた母。大腿骨骨折発覚から肺炎で入院。
傾眠傾向と診断され、あっという間に母の言葉が無くなってきました。
いくつになってもお別れの覚悟なんてできない!
目を開けない母
施設に夫と娘とで三人で向かいました。到着してすぐ私だけ駆け足でお部屋へ向かいました。施設長さんや介護職員の方が「危ない状態です」「血中酸素濃度が70!」「血圧は低すぎる 60.30」とわさわさしていました。「血中酸素濃度がはかれない!」
お別れの時なの?とっさに思いました。が、症状はやや安定し、夫と娘が部屋へ入ってきました。前日お医者様や職員の方が何度も声掛けをしてくださったようですが母は、眠り姫のように反応がなかったようでした。「娘さんに声掛けをしてもらうと反応があるかも…」お医者様の意見でした。
家族の声掛けに母は手を握り返し答えてくれる
「お母さん来たよ!私来たからね。」孫の名前、夫の名前を呼び声掛けを続けていると、母が手を握り返し反応がありました。目を開けたいようでしたが、この何日間目を開ける事もなかったようで、目やにで目が全く開けられない状態でした。私の娘がまつげパーマをするように、母の目を丁寧に拭いてあげると、眉間にしわを寄せましたが、目を開けるしぐさを繰り返していました。聞こえていることがよくわかりました。ほんの10分前には、お別れかと思っていたのに家族の声に母は、しっかり反応してくれました。
目を閉じている母の顔を見て涙が止まりません
ほんの数日前には車いすに乗って声は小さいでですが、「来たの?」と言ってくれた母が、今日は目も開けられない、握る手だけの反応に、涙が止まりませんでした。母とのお別れが近いのかもしれない事実を事実として受け入れるしかない状況でした。
明後日また来るからね
「明後日また来るよ」と母の耳元で言って今日は帰ってきました。
お別れはいつかはなんてわかりません。母と私の楽しかった日々を今思います。母との数えきれない会話を思っています。「まずは、自分の事をしっかり考えて生きてね。」と何万回も言っていた母の言葉を今また思っています。
親との話はいつでもできそうですが、話ができるうちに何度も何度も親が何を伝えたいのか、知っておくべきです。話したくても通じない時が、やがて来るからです。